ぺっと


 私は、動物が大好きである。
 今までに、りす、犬、小鳥、ハムスターなどを飼ってきた。
 現在は、猫を飼っている。
 
 ジョンの思いで

 私は、子どものころから犬が好きだった。
 飼いたくて飼いたくて、たまらなかった。
 しかし、飼うことはできなかった。
 仕方なく、近所の犬おばさんのところに毎日通った。
 おばさんは、犬を10匹くらい飼っていた。
 私たちが散歩させると、とても喜んでくれた。
 
 中学二年の時である。
 兄弟3人でお金を出し合い、犬を飼った。
 当時で、2万円である。
 今なら、10万円以上するだろう。
 血統書つきの(どうでもいいことだったが)、柴犬だった。
 ジョンと名づけた。
 ジョンは、私の青春と共に生きた。
 14年間。
 近所にいぬ好きのおじさんがいた。
 ドーベルマン、ブルドック、ポインター、おじさんの飼い犬がかわっても、ジョンはかわならなかった。
「ジョンは、長生きだね」
 
 ジョンが死んだのは、教師になって5年目。
 フィラリアにかかってずっと具合が悪くなっていた。
 老衰も進んでいた。
 散歩してもよろよろ。
 死が近いことを予感していた。

 4時ころだったろうか、学校に電話があった。
 母からだった。
「今、ジョンが息を引き取った」
 私は、バイクを飛ばして帰った。
「ジョン、ジョン」
 ジョンは、目を開けなかった。
 家族みんなで泣いた。
 ジョンは、まぎれもなく杉渕家の一員だったのだ。

 実は猫派

 月日は流れて…
 神津島に赴任して5年目。
 学校創りは軌道に乗ってきた。
 若い先生方が力をつけ、学校全体がエネルギーに満ちていた。
 一方、私はかなり厳しい状況だった。
 精神疲労がたまり、限界が近くなっていた。
 「後、○か月」
 自分に鞭打たないと、前に進めなかった。
 学校がよくなっているにもかかわらず…
 人間の心境は複雑であることを実感した。

 癒しが必要だった。
 私を癒してくれるものは、なかった。
 わかってもらえない…
 理解してもらえない…
 愚痴がいえない…
 つらい日々が続いていた。

 運動会前のことだった。
 クラスの子が、子猫をあずかってほしいといいに来た。
 生まれて間のない、まだ目が開いていない子猫である。
 家で飼えないので、先生にあずかってほしいという。

 猫をあずかった。
 カールと名づけた。
 家内が、熱心にかわいがった。
 毎日世話をしたのだが…
 運動会の日、家に帰ると…
 子猫は冷たくなっていた。
 朝は元氣だったのに…
「氣がついたら、冷たくなっていたの」
 泣きじゃくる家内。

 私は、カールを埋葬しながら思った。
 このままではいけない。
 猫を飼わなければ、育てなければ。
 カールの分まで、育てなければ。

 インターネットで、調べた。
 猫をゆずってくださる方を。
 思った以上に、たくさんあった。
 その中から信頼できそうな方にメールを送った。

 電話が来た。
 島にやるのは、不安だという。
 1匹でなく2匹(兄弟)ならいいという。
 船でなく飛行機で連れて帰るという条件。
 2匹は飼えない…

 知り合いの(当時PTA会長をしていた方)Mさんに話をした。
 やはり、育て始めた子猫が死んだばかりだったのだ。
 家族みんなで泣いたという。

 申し出に、Mさんの家族は喜んだ。

 私は、研究の帰りに猫を受け取った。
 こうして、猫は神津島に来たのである。
 1匹の猫を、Mさんのところに連れていった。
 美形の三毛猫である。
 杉渕家の一員となったのはキジトラと三毛のミックス。
 鼻にほくろがあり、高い声の猫だった。
 家内が「カプリッチョ」と命名した。
 ※イタリア語で、自由奔放
   家内そのもの(笑)

 カプ(カプリッチョの愛称)が来てから、家内が元氣になった。彼女も限界が近かったのだ。
 私も、癒された。
 毎日、カプと遊んだ。
 無心に遊んだ。
 カプは、膝に乗ってきた。

 毎朝、私を起こしに来た。
 いっしょに寝た。
 ※そのうち、布団におしっこをするようになり寝るときは寝室に入れなかった。

 カプのおかげで、何とかもった。

 
 

 仕事をしていると邪魔しにきます。

 
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