独自のカリキュラムを創る
杉渕流の胎動は、1990年。
今から十年以上前のことです。
問題意識1 時間割
独自のカリキュラムが必要だと切実に感じるようになったのは、1989年、1年生を担任してからです。
1年生は、1時間(45分)集中することが難しいですね。。特に入学したてはそうです。文字の練習、音読練習など、10分もやればあきてしまいます。
このような実態を目の当たりにして思いました。
「なんで6年生も1年生も、授業時間は45分と決まっているのだろう。実態が違えば、当然授業時間も変わってくるはずだ!」
なぜ、1年生から6年生まで授業時間が同じなのか?
実態に応じて変えるべきではないのか? |
これが第1の問題意識です。
私は、10〜15分おきにやることを変えてみました。そろそろあきてきたなーっと思うとパッと(やることを)変えるのです。
10〜15分だと、入学したての1年生も集中することができました。
逆に、2〜3時間続けてやっても、あきないで集中していることもありました。
すぐにあきることもあれば、長時間やってもあきないこともある…
いつも同じではない(今考えれば、当たり前のことですけど)…
授業時間はそのときの状況に応じて変えてもいいのではないか?
なぜなら、「始めに授業時間ありき」ではないからです。
授業時間に限ったことではありませんが、教育においては、「始めに子どもありき」です。
子どもが乗ってきたのに「今日は時間だから、これで終わり」にしてしまいます。
2〜3日後、その授業の続きをします。あの盛り上がりはどこへやら。「あれっ、こんなはずじゃない」と思っても、後の祭です。時間割にこだわったばっかりに、子どもの意欲をだいなしにしてしまった…
このような経験もありました。
「乗ってきたときは、同じことを続けてやってもいいのではないか? 週1回の授業(例えば、図工)の場合、来週までおあずけにするのではなく、次の日、いや、終わるまで毎日続けてやってもいいのではないか」
なぜ、時間割通りにやる必要があるのか?
乗ってきたときは同じことを続けてやってもいいのではないか?
週1回の授業だって、次の日、あるいは、毎日やってもいいのではないか?
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これが、第2の問題意識です。
乗ってきたときは、集中的にやったほうが効果的です。
逆に、少しでもいいから毎日やったほうがいいものもあります。私の経験からいえば、基礎的な音読、漢字、計算は、少しでもいいから、毎日やったほうが効果があります。それなのに、
「なぜ、音読、漢字は国語の時間、計算は算数の時間にやらなければならないのか? 毎日ある教科はいい。しかし、算数は毎日ない。計算をやる人やらない日が出てくる。毎日やるほうが効果があるとわかっているのに、なぜ時間割にこだわるのか?」
毎日やるほうが効果があることがわかっているのに、なぜ、時間割通りにやる必要があるのか?毎日やるべきではないのか? |
これが、第3の問題意識です。
以上の問題意識を持っていた私は、時間割を変更しました。
問題意識1 子どもの実態に応じて授業時間を変えるべきではないか?
問題意識2 乗ってきたことは続けて、あるいは毎日やってもいいのではないか?
問題意識3 毎日やったほうが効果的なものは、毎日やるべきではないのか?
この3つを結びつけることはできないか。
さんざん悩んだ結果、とりあえず、やってみることにしました。
行動しなければ始まらないからです。
3学期(1年生担任)あたりから、少し意識して実践するようにしました。
乗ってきたときは、とことんやりました。
毎日やったほうがいいと思ったことは、毎日やりました。音読、漢字、計算、「見たこと」作文の発表会などです。
朝の会+1時間目は、「見たこと」作文の発表会、2時間目は、音読、漢字、計算という感じです。
波及学習 かなりの効果がありました。
毎日やることで、子どもたちは確実に力をつけていきました。
「この時間になったら、発表会をやる」「発表会が終わったら、音読、漢字、計算をやる」ことが習慣になりました。
私がいなくても、時刻になるとさっと集まり発表会を始めるようになりました。
それが終わると、音読、漢字、計算をやります。
何をやるか、どうやるかがわかっているので、教師がいなくても、ある程度できるのです。
このように、時間割を変えました。縦軸ではなく横軸の時間割にしたのです。
※縦軸の時間割…その日によって、やることが変わります。
横軸の時間割…毎日やることが決まっています。
なかなかいい発想だと思います(ただし、高学年になり専科の授業が入ってくると難しくなりますね)。 |