独自のカリキュラム p2

 

問題意識2 教科1
 次は、教科に対する問題意識です。
 いつのころかは忘れましたが、国語、算数といった教科にわけて教えることに疑問を持ち始めました。「教科の枠を取り払おう」と考えるようになったのは、やはり1989年、1年生担任をしてからです。
 1年生には教科もくそもありません。国語はこれ、社会かはこれ(※当時はまだ社会科がありました)と教えても、乗ってきません。国語の次は社会、その次は算数というようにやっていくと、学習がぶつっ、ぶつっと切れてしまいます。連続性がないのです。
「今○○やっていたのに、何で次は△△やるの?」
と彼らにいわれたこともあります。
 少なくとも私の経験においては、合科的な学習(「総合学習」)のほうが有効です。
 
 国語で、1日1文字ずつ字を教えます。簡単に書ける字から教えます。彼らは、文字を学習するのがうれしいのです。(幼稚園・保育園との違い。お兄さん・お姉さんになった感じがするのでしょう)。だから、喜んで学習します。しかし、どうして文字を覚えたいという切実感、必然性はありません。算数も同様です。たし算、ひき算を喜んで学習しますが、切実感、必然性はありません。
 かろうじてあるのが社会(今でいえば、生活科)です。学校の中で迷子にならないようにするために?「学校めぐり」をします。自分たちの教室以外にどんな部屋があるのか、どんなものがあるのか という知的好奇心も手伝って、意欲的に学習します。

 私は、知的好奇心により学ぶだけでは不十分だと考えていました。
(※当時、1989年ころは、「楽しい」「おもしろい」学習が日本の主流であったので)
 興味のあるものについては熱心にやるけれど、興味のないものはやらない ということにもなりかねません。知的好奇心に、学ぶ必然性、必要感といったものがプラスされなければ、本当の意味で力にならないと考えていました。

 1つの教科−国語なら国語、算数なら算数−で、両方を満足させるのは、難しかったですね。学ぶ必然性、必要感を持たせるのはえらく難しかったです。
 そこで考えたのが、合科的な学習です。例えば、理科(※当時は、理科がありました)で『春見つけ』(4月の実践)をします。見つけたこと、氣づいたことを発表させます。このとき、いわせないで書かせるようにしました。いいたがりやの1年生は、書くとなると困ります。文字を知らないからです。発表したいために、
「先生、『は』ってどう書くの?」
と聴きにきます。
「わからないところは○を書けばいいよ」
といっても、がんとしてゆずりません。○を書く子は一人もいません。
 全員が、「わからない字を教えて」と私のところにやってきました。
 彼らは、知らない字があると十分な発表ができないと考えたのでしょう。わからない字を○にするのは、耐えられなかったのでしょう。全員が教師に字(知らない字)を習いにくるのです。小さいながらあっぱれ!
 これは、教師が1日1字ずつ教える学習とは、根本的に違います。学ぶ必然性があります。必要性があります。

 花を見つけ花びらの数を数えます。「1、2、3〜」というように数えていきます。
「先生、8ってどう書くの?」
と聴きにきます。ここにも、学ぶ必要性、必然性があります。
 文だけの説明では相手に伝わらないことがわかると、絵を描くようになります。絵を描く必要性、必然性があるのです。
 『春見つけ』では、次の4教科がかかわってきます。
   ・国語…文字を書く
   ・算数…花びらの数を数える、数を書く
   ・理科…見つけたこと、氣づいたこと
   ・図工…絵を描く

 国語で○○、算数で△△ではなく、『春見つけ』で、国語、算数、理科、図工てきなことをやるのです。このほうが1年生にとって、ずっと自然です。何よりも、学ぶ必要性、必然性があります。


  知的好奇心+学ぶ必要性・必然性があると、子どもは意欲的に学習する。
  そのためには、教科の枠を取り外し合科的な学習をする必要があるのではないか?

 これが、第1の問題意識です。

 国語の授業…始めに漢字、次は音読、最後に読解、算数の授業…計算、考え方など…1時間の授業でいろいろなことをやっています。
 1つのことをじっくりやろうと思っても、やることがたくさんあるのでじっくりできません。読みとりに時間をかけたいと思っても、十分にそれをする時間がありません。算数の場合も同様です。

「なぜ、○○はこうなるのか」ということをじっくり考えさせたい。しかし、計算練習をやらなければならない。どうしたらいいか?

 悩んだ末考えついたのは、じっくり考えることと習熟のための反復練習をわけるということです。
 つまり、1時間の授業の中であれこれやるのではなく、1つのことをじっくりやるということです。

  考えることと習熟のための練習をわけてやるほうがいいのではないか?

 これが、第2の問題意識です。

 第1の問題意識から生まれたのが「総合学習」です。
 第2の問題意識から生まれたのが、「基礎」の時間です。

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